一匹の豹が、音も無く森の悪路を駆け抜けていく。木と木の間をすり抜け、泥だまりを飛び越え、コケにまみれた岩から岩へと飛び移る。
どんな悪路でも最高速を維持したまま走れるのが今では旧式と言われるヘルキャット唯一の長所だ。その長所は、たとえ森の中であっても失われることは無い。
「『密林の王者』の名前は伊達じゃない、ってね」
ラゼットが真剣な表情のまま得意げに独り言を呟いたその時、レーダーが反応した。せわしなく動き回る大小の赤い点が7つ。フローランの言っていた通りだ。
「・・・さすがはゴルヘックスのレーダーだな。俺のヘルキャットがようやく感知した反応を、あんな遠距離で感じ取っていたんだからな」
詳細な位置が分かったところで微妙に進路を修正して反応のある場所へ向かう。
森を抜けた。遮る物が無くなり、日の光が直接降り注ぐ。その眩しさに、一瞬目を細める。すぐに慣れた。と同時に、道が消えていた。いや、なだらかな崖になっていた。高さはざっと40メートルといったところだろうか。それに驚くことも躊躇することも無く一気に駆け下りる。レーダーの示す点はもう目と鼻の先だ。
いや、すでにレーダーを見る必要は無かった。すぐ目の前で、先ほどからレーダーが示していた数のゾイドが、遺跡のような建造物の後方で、激しい戦闘を繰り広げていたからだ。
むこうは、まだこちらの接近に気付いていない。崖を降りきったラゼットが遺跡とも工場とも見て取れるその建物の影に身を潜めるべく走り出そうとした瞬間、どういうわけか対空センサーが反応した。そして、それと同時に何かが日の光をさえぎり、ラゼットの視界に一瞬影を落とした。思わず顔を上げてそれが何かを確認したラゼットは、絶句した。
操縦桿を目いっぱい引いて後ろに飛び退く。そのラゼットの目の前に、ものすごい勢いで一体のレブラプターが降ってきたのだ。
「お・・・い・・・何?何のビックリですかこれは」
腰が抜けたように声の震えるラゼットの前で、打ち所が悪かったのか、降ってきたレブラプターはフリーズしてしまったようだ。要は、気絶。無防備に腹を上に向けて大の字になったまま、ピクリとも動かない。
「・・・っと、そうだ、イスナ!あいつは無事なのか!?」
はっと我に返ったラゼットのヘルキャットは、軽い身のこなしで建物の屋上へと飛び乗った。そして見た。5体のレブラプターの群れと、コマンドウルフのような姿をした蒼いゾイドが戦っているのを。
「なんだ?野良同士の縄張り争いか・・・?」
ラゼットがそう考えたのも無理は無い。野良ゾイドが戦闘を行うのは、大抵が餌場の確保を巡る縄張り争いか、ギルドのような捕獲者に対する自衛のときだけだ。この場合、自分とフローラン以外でここにゾイドで乗り入れている人間はいない。すなわち、全て野良である可能性が極めて高いということだ。あの蒼いウルフも気になるといえば気になるが、まさかイスナが乗っているわけが無い。いくらギルドの人間だからといって、そう簡単にコクピットへの侵入を許すほど、ゾイドは甘くは無い。だが・・・
「すごい・・・」
ラゼットは、眼下で展開されている戦闘に、思わず見入ってしまっていた。5体のレブラプターに囲まれながらも、あの蒼いウルフは一歩も引く様子が無い。それどころか、逆に気迫で押している。真横から飛び掛ってくる鎌を前足を軸に回転してかわし、遠心力を利用して軽い爪の一撃を腹に叩きつける。動きを止めたその一瞬の隙を突いて、真正面から突撃し、跳ね飛ばす。強い。
ウルフの猛々しい咆哮と、レブラプターの悲鳴が空に響く。
その様子を見て、ラゼットは呟いた。
「まるで、人が乗ってるみたいだな・・・」
自分の意志で動いているゾイドと、パイロットの操縦で動いているゾイドの戦い方の違いなど、ゾイド乗りならすぐに見分けられる。今のウルフの戦い方は、敵の動きを一瞬止め、確実に致命打をヒットさせる格闘戦の戦術の一つだ。野良ゾイドが体得できるような戦い方ではない。
しかし、ここであの群れに飛び込んでも得は無い。だが、イスナの身が心配だ。フローランの言うとおり、レブラプターに追われてこの近辺にいるならば、この遺跡の中でまず間違いない。しかし、愛機を残して遺跡の中に入ることは、自分よりもむしろ、見つかったら最後のヘルキャットの方が危険だ。ひとりにはできない。遺跡の中でイスナが息を潜めていることを願って、呼びかけるしかない。そして、出てきたイスナを回収して全速力で撤退する。これしかない。
そう考えたラゼットが自分の位置をレブラプターに知らせるリスクを犯してでも、拡声器で遺跡に呼びかけようとしたまさにその瞬間、
「うおおりゃあああああぁぁぁーーーっっ!!」
聞き覚えのある声が彼の耳をつんざいた。
「な、何・・・ってぅぉおおっ!?」
思わず声のした方向、眼下の群れの方へ目をやった瞬間、またレブラプターが勢い良く背中を向けて飛んできた。いや、飛ばされたといった方が適切だ。どうやらあの蒼いウルフに尻尾かどこかをを咥えられ、投げ飛ばされたらしい。おそらく先ほど目の前に降ってきた奴もそうだろう。しかしそんなことを考えている場合ではない。ラゼットは思い切り機体を屈ませ、飛来してくる脅威をなんとかやり過ごした。その直後、後方で大きな激突音がした。明らかにレブラプターが地面に叩きつけられた音だったが、残念だがかまっていられるような状況ではない。
「・・・」
ラゼットは、イラついたような表情で、微かに肩を震わせながら、今自分に飛んできた脅威の元凶を睨み付けた。
機械に通したような先ほどの叫び声は、明らかにその蒼いウルフから拡声器越しに発せられたものだった。
まさかという言葉が彼の頭の中で途切れることなくリピート再生される。
「よっしゃあっ、次!・・・っと、あれ?」
また同じ、少女の声。やはりあのウルフからだ。
そのウルフも今初めてこちらの存在に気付いたようだ。ラゼットは、無言で拡声器のスイッチを入れた。一瞬抱いた彼の疑念は、今の声で確信に変わった。もはや、疑いようはない。ラゼットは、可能な限りの大声で、視線の先にあるウルフのコクピットで操縦桿を握っているであろう仲間の名前を叫んだ。

「・・・イスナ!イスナ・ライラックっ!!」

微かにエコーがかかるほどのその声は、その場にいた全員の動きを止めるのに十分な威力だった。止まった空気の中で、4匹のレブラプターと蒼いウルフが、いきなり怒鳴りつけた鬼教師を見上げるような目で、遺跡の上に立つラゼットのヘルキャットを呆然と見上げていた。中にはウルフに襲い掛かろうとして開いた口がそのまま塞がらないものもいる。
完全に固まってしまった空気を突き破ったのは、イスナのあっけらかんとした声だった。
「あれ?ラゼット?なんでここにいるんだろ?」
こちらにまで聞こえてはいるが、まるで独り言のような口調。ラゼットはその一言であることに気付いた。通信機を全周波に設定してウルフに繋ぐ。サイドモニターに映し出されたのは案の定、赤い長髪をポニーテールにまとめたひとつ年下の少女だった。
「あ、やっぱりラゼットだ。やほ〜」
とぼけた表情のポニーテールが、モニターの中から手を振ってくる。
ラゼットは右手で自分の頭を鷲掴みにすると、うんざりしたように言った。
「拡声器ぐらい切っとけよ、イスナ」
「え?拡声器?あ、ホントだ」
自分のミスに今頃になって気付いたイスナがコンソールに手を伸ばした。しかしその瞬間、イスナを映していたモニターがぷつと消えた。
「お?」
怪訝な顔をするラゼット。次の瞬間、再びモニターが回復した。
「ごめんごめん、間違ってモニター切っちゃった。・・・ラゼット?」
魂が抜け出たような顔をしたラゼットが、シートに体を預けていた。
「いや、なんでもないです。・・・ひとつ聞いていいでしょうか?」
ゆらりと生気を取り戻したラゼットがモニターに顔を近づけた。
「なに?」
「なんでそんなゾイドに乗ってr」
「ちょっと待って!やっぱり今忙しいから後にして!」
「は!?おい・・・!」
すかさず問い詰めようとしたラゼットだが、モニターから眼下の戦場を見下ろした瞬間その意識は彼の頭の外へと追い出されていた。
レブラプターたちが、思い出したようにイスナの乗るウルフへと攻撃を再開すべく、大きく飛び上がっていたのだ。その内の2体は、真っ直ぐこちらに向かってきている。しかも、先ほどイスナに投げ飛ばされた後ろの2体も、意識を取り戻しつつあった。偶然だが、レブラプターの群れに囲まれる形になってしまった。こうなった以上、助かる方法は限られてくる。
「一点突破か・・・」
ラゼットは、ちらと後ろを振り返った。意識の朦朧としたレブラプター2体と、その奥には先ほど駆け下りてきた崖。降りることは出来たが、登るには少しきつい。前方の4体を振り切ってその先の森に逃げ込むしかない。しかし、イスナに通信を入れようとしたラゼットの指が止まった。
・・・駄目だ!前に逃げたら後ろから追ってきているフローランが孤立する!そうなったら、ゴルヘックスはまず助からない!
ラゼットは、モニターに向かって叫んだ。
「イスナ、そいつらを振り切ってこっちに来い!」
「ラゼット!?」
「こっちの崖を登って逃げ切る、それしかない!」
そういうとラゼットのヘルキャットは、くるりと背を向けると、2体のレブラプターが飛び掛る直前に地を蹴り上げた。獲物を外したレブラプターが、勢い良く遺跡の壁面に激突した。それと同時に、遺跡の外壁中に、いくつもの亀裂が走り、やがて音を立てて崩れ始めた。力任せなレブラプターの突進によって、遺跡が崩壊を始めたのだ。
「っと、っとっとおぉっ!?」
何とかバランスを保ちつつ、バリバリと音を立てて崩れ落ちていく遺跡の屋上を駆け、ようやく意識の回復した2体のレブラプターの上を飛び越え、崖の斜面に飛びつく。そして、ブースターを噴かして重力に逆らいながら斜面を駆け上る。
「ったく、加減ってもんがあるだろーがっ!!」
言葉の通じない相手に向かって毒づくラゼット。下を見れば、意識の回復した2体と、先ほどラゼットに飛び掛ろうとして遺跡を破壊した2体の合わせて4体のレブラプターがヘルキャットを捕らえるべく何度も崖に飛びついては落ちていた。
苛立ちからこちらめがけて咆哮するレブラプターたち。その群れを、青い巨体が蹴散らした。イスナのウルフだった。
「ちょっと通してねーっ!!」
ウルフがブースターを展開した。凄まじい加速で飛び上がり、一気にヘルキャットを追い抜くと、2,3歩のリーチで崖を上りきってしまった。
「は、速えー・・・」
思わずその巨体に見とれるラゼット。しかし、こちらとて高速ゾイドの端くれだ。ブースターを一気に最高点にまで引き上げ、大きく跳躍して上りきった。
そこにはイスナと謎の蒼いウルフ、そして追いついてきたフローランのゴルヘックスがいた。ウルフの足元で抱き合う二人。どうやら泣き出したフローランをイスナが慰めているらしい。
ラゼットは後ろを振り返った。どうやらレブラプターたちにこの崖を上る力は無いようだ。
安全を確認したラゼットはコクピットから降り立つと、二人の下へと足早に駆け寄った。
それに気付いたイスナの後ろでフローランがあたふたと袖で涙をぬぐい、眼鏡をかけなおした。それをあえて無視して、ラゼットはいつもの口調でイスナに問い詰めた。
「で?このゾイドはどうしたんだ?襲われたと思ったらこんなのに乗って暴れまわって」
親指を立てて愛機を指されたイスナはあくまでイスナらしい口調で答えた。
「ああ、この子?拾ったの。そこの遺跡で」
「捨て犬みたいに言うな!・・・いや、ある意味これも捨て犬か・・・っじゃなくって!!」
ひとりでボケ突っ込みを展開していたラゼットが気付いたときには、いつの間に戻ったのか、二人はすでに愛機の歩を帰路、森の中へと向けていた。
「って人の話聞けよ!この薄情者っ!」
慌てて愛機に乗り込みウルフの隣へと駆け寄るラゼット。モニター越しに、気になっていたことをぶつける。
「そういやそいつ、なんて名前なんだ?」
「名前?名前かぁ。う〜ん・・・」
「データベースに載ってるんじゃないの?」
なぜか考え込んでしまったイスナにフローランが助け舟を出す。
「いやそれがね、なんにも載ってないのよこれが。あの遺跡の地下工場のコンピュータから引き出したデータは開けることも出来ないし」
それを聞いたラゼットがぴく、と眉を寄せた。
「ちょっと待て。あんなボロ遺跡の下に工場があったのか?」
「うん。この子もそこで見つけたの」
てっきり昼寝中のウルフのコクピットに強引に潜り込んだものだとばかり想像していたラゼットは呆気にとられたように続けた。
「なぁイスナ、それってもしかして軍の」
「いやいや、5年もほっとかれたんだからそれは無いって!」
「まだ何も言ってねぇよ!」
「と、とにかく、この子のことはなんにもわからないの」
「・・・そうか」
ラゼットは、崩れた遺跡の方を振り返った。獲物を完全に諦めたのか、レブラプターの群れはすでにその姿を消していた。
「じゃあ、ずっとウルフって名前で呼ぶの?機体名:ウルフ?」
「どしよっか。やっぱりそれじゃ可愛そうだよねぇ〜」
・・・あの遺跡、一度調べる必要がありそうだな。
イスナとフローランの会話を聞きながら、ラゼットは何かの『予感』を感じていた。しかし、今それを考えても仕方ない。ふっ、と体の中の空気を入れ替える。
「で?どうすんだよ、名前。早いとこ決めちゃった方がいいんじゃねぇの?」
「う〜んと、じゃあ・・・」
「・・・」
3人の間に決定の瞬間の張り詰めた空気が流れる。
「・・・」
「よし、決めた」
びくっ、となぜか肩を震わせるラゼットとフローラン。些細なことでもこういう瞬間は無意味に緊張してしまうものらしい。ふたりが左右のモニターから見つめる中、イスナの唇が動いた。
「・・・スーパー」
「ウィスタリアウルフは!?」
「・・・」
「・・・え?」
一瞬の出来事だった。
偉大なる名を与えようとしたイスナの言葉は、トンでもない名前を口にすると一瞬で悟ったフローランの声に遮られた。その顔には、なぜか冷や汗が見て取れる。
「ウィスタリア・・・なんだそりゃ?」
フローランの内心を悟ったラゼットが話をあわせる。イスナは蚊帳の外だ。
「あ、ほ、ほら、そのウルフ、綺麗な蒼じゃない?だから・・・。あ、ウィスタリアっていうのは色の名前。どう?イスナ」
「・・・」
イスナは下を向いて右手を顎に当て、黙ったままだ。再び緊張の一瞬が走る。
やがて、イスナが口を開いた。
「ウィスタリア・・・うん、良いね!それでいこう!」
大きく息を吐き出した二人の間で、イスナの顔だけが花のように晴れやかだった。
「わー、フローランが名付け親だよー」
イスナの顔は、まさに無邪気という言葉がぴったりだった。そのイスナのウルフの背後に回ったラゼットがフローランにひっそりと近付いた。
「・・・なぁ、イスナって結構」
「お願いだから全部言わないで。私が一番分かってるから」
そう言うとフローランは忌まわしい出来事から逃れるように両手で耳を覆った。
「あ、そ」
『天然』という単語を同時に頭に浮かべたふたりは、なんともいえないため息をついた。

この日、イスナの新たな相棒と、その名前が決まった。

日はいよいよ傾きを強め、一日の後半半ばを知らせる眩しい光を放っていた。

                             EPISODE02 END