コクピットに届く日の光が、遮られた。
顔を上げれば、逆光のせいで余計に黒く映る、ジェノザウラーの巨体と、赤く光る目。
終わった。
殺される。自分も、ウルフも。
だが、こんな状況下にあっても、イスナは死への恐怖より、ウルフへの謝罪の念の方が大きかった。
「ごめんね・・・」
もう一度、呟いた。
今度は、もう逃げないから、と。
だが、まさにイスナが目を閉じようとした時、体中が、妙な違和感に包まれた。
熱い。
それでいて、寒気を催すかのように、体中に鳥肌が立つ。
鼓動が早い。
見えない何かに押さえつけられるかのような圧迫感と、不快感が、コクピットに満ちている。
「・・・ウィス?」
イスナが、震える声で呼びかける。
その時、コクピット内にブザーが鳴った。
『ゾイドコア、異常活性。鎮静剤エンプティ』
それは、すなわち『暴走』を意味していた。
システムがコアからの神経リンクを受け付けなくなったのではない。その逆だ。
コアが、ゾイド自体が、機体のオペレーティングシステムを乗っ取ったのだ。
生命の危機を感じたゾイドに、比較的多く見られる現象だった。特に、生命力の強い個体には、より顕著に見られる。 生き抜こうという、生物本来の本能があるが故の行動だった。 今のウルフは、騎手のもつ手綱が切れた馬と同じだ。
だが。
それは、ありえない事だった。
今のウルフは、コア本体に致命的ともいえるダメージを負った、瀕死に近い状態だ。
機体の管制システムを操るほどの力は、残っていないはずだった。
それがどうだろう。今まさにウルフは、ジェノザウラーの目の前で、ゆっくりと立ち上がったのだ。
足の震えも無く、しっかりと大地を踏みしめて。
それでも、その横腹には、焼け焦げた2つの穴が開いている。 ゆらり、とその顔をジェノザウラーに向けるウルフ。
何か恐怖にも似たものを感じたのか、ジェノザウラーが、一歩下がった。
たじろぐジェノザウラーに、ウルフがゆっくりと向き直った。
「ウィス・・・?・・・ダメ・・・」
ウルフが何をしようとしているのかを本能的に悟ったイスナが、思わず呟いた。
汗ばむ手で操縦幹を握り、何度も引く。
だが、何も反応はない。
嫌な予感と、この後の結末が、イスナの頭の中で膨らんでいく。
何度も、何度も操縦幹を引く。
「ダメ・・・聞いてよ・・・ウィス・・・ウィスっ!!」
その瞬間。
ジェノザウラーが体を回転させた。尾を当ててくるつもりだ。
と同時に、ウルフが動いた。
「・・・っ!?」
体勢を低くし、尾の一撃をかわしたウルフ。そのまま、隙だらけのジェノザウラーに襲い掛かり、一瞬のうちに組み敷いてしまった。
コアに重症を負ったゾイドとは思えない動きだった。
左前脚で首を、右前脚で体を押さえつけるウルフ。それだけで、ジェノザウラーは身動きが取れなくなってしまった。
何とか脱出しようともがくジェノザウラー。その前脚が、ウルフの胸に迫った。
だが、その爪がウルフに届く寸前に、腕が動きを止めた。ウルフが、ジェノザウラーの肩に食らいついたのだ。
そのまま両足に力をこめるウルフ。次の瞬間。ジェノザウラーの腕が、一瞬で食いちぎられた。本体から無理に引き伸ばされた動力パイプや、コアから伸びる神経束が、ブチブチと音を立ててはち切れていく。
断末魔の悲鳴をあげ、仰け反るジェノザウラー。その首に、ウルフの爪が容赦なく食い込んだ。
もはや悲鳴を上げることも出来ず、ビクビクと痙攣するジェノザウラー。その光景は、まさに虐殺と呼ぶにふさわしいほどのものだった。
「もういい!もういいよ、ウィス!!」
ウルフのコクピットでは、なおもイスナが操縦幹を引いていた。その頬には、止めどない涙の筋が溢れていた。いかに自分たちを危機に陥れたゾイドであっても、無意味に虐げられる様を見せ付けられるのは、彼女にとってとても耐えられるものではなかった。
だが、ウルフはそれに反して、動かないジェノザウラーに執拗に攻撃を続けた。
食いちぎられ、引き裂かれ、破壊されたジェノザウラーの装甲が、次々と飛び散っていく。
露になった装甲内部に、爪が、牙が、容赦なく突きたてられる。その度に、ジェノザウラーの体がビクンと震える。

ひとしきりジェノザウラーを嬲ったウルフは、鼻先でごろんとジェノザウラーの体を転がし、仰向けの状態にした。
「・・・ウィ、ス・・・?」
彼女をコクピットに乗せたままのウルフは、そのままジェノザウラーの腹に食らいつき、その装甲を次々と毟り取っていった。中のパイプがちぎれ、放電が走り、蒸気が噴き出す。
そして、ついにそれが姿を現した。
ジェノザウラーの、ゾイドコア。
機体は動かなくなったものの、コアはまだ辛うじて脈を打っていた。
だがそれが逆に、イスナに底知れぬ絶望感を与えた。
イスナの体中から、血の気が引いた。
効かぬと知りつつ、かくん、かくんと操縦幹を引く。
「ダメ・・・ダメだよ、ウィス・・・ねぇ・・・ねぇってば・・・」
声が震える。
ウルフが、ゆっくりと口を開けた。
コクピットに、律動を続けるジェノザウラーのゾイドコアが近付いてくる。
「いや・・・いやああ・・・」
そして、コアがキャノピーの視界から消えた一瞬後。
コクピットの真下に位置する『口』から、生々しい音が聞こえ始めた。
硬いものを砕く音に続いて、何か柔らかいものが破裂し、引きちぎられる音と、大量の液体が噴き出す音。
何の音かは、考えるまでもなかった。いや、考えたくなかった。
だが、絶えずコクピットに響いてくるその音は、あまりにも親切に、イスナにそれを伝えていた。

喰っているのだ。
ゾイドコアを。
自分の、目の前で

「お願い・・・やめてぇ・・・」
イスナは、思わず耳をふさいだ。
だが、それでも音は、耳の中まで響いてくる。
「・・・ううっ!?」
ついに堪えきれず、イスナは戻してしまった。
ウルフは、口の周りをジェノザウラーの血に染めながら、なおもその腸に顔を突っ込み、それを貪り続けていた。



その頃、ラゼットを中心としたレブラプター捕獲チームは、間もなく最後の一団を沼地に追い込もうという所だった。
既に沼に落としたレブラプターは、30機を越えていた。残り14機を落とせば、ひとまずは捕獲作戦の第一段階が完了する。
だが、ここにきて、作戦は行き詰まり始めていた。
ラゼットのヘルキャットの体力が、限界に近いのだ。
スピードこそあるものの持久力の低いヒョウ型ゾイドであるヘルキャットにとって、長期戦は決して楽なものではなかった。さらに、それを見越してか、残ったレブラプターの群れは態勢を立て直し、ヘルキャットに攻撃を仕掛け始めたのだ。
とはいっても、現場は幅の狭い岩場。戦闘自体は、殆どが一対一。足場の悪さも考えれば、ラゼットのヘルキャットが遅れをとることはない。
だが、数が多すぎた。倒しても、弾き返しても次々に現れるレブラプターの群れは、ラゼットの目には不死身のゾイドのように映るのだった。
「っく、こいつら、次から次へと・・・!」
ブレードを振りかざして牽制するも、それも効果はなくなってきていた。
一瞬の隙を突いて、一体のレブラプターがヘルキャットに飛び掛った。背後からの一撃。
とっさに機体を翻しつつ、ブレードを相手に向かって突き出す。その切っ先が、飛び掛ってくるレブラプターの左足を切り裂いた。
殺さぬように、しかし的確にダメージを与えるという事は、通常の戦闘に比べ遥かに難しいのだ。
このままでは、いつか自分が倒れてしまう。しかし、援護にレブラプターを呼べば、群れを沼地に追い込む術がなくなる。それに、未だ姿を見せないジェノザウラーの事も気がかりだ。早めに片付けなければ、ジェノザウラーが現れたときに対処できなくなる。
ラゼットは、意を決したように、通信を開いた。
「フローラン!聞こえるか?」
「え?あ、うん聞こえてる!」
「ソウマのヘルディガンナーをこっちに呼んでくれ!こいつら、ここで眠らせる!」
「ええ!?でも・・・」
「時間がない!早く!」
「わ、分かった・・・」
フローランは、すぐさまソウマへの通信回線を開いた。
それを確認したラゼットは、ふたたびレブラプターに向き直った。
「ソウマの奴が来るまで・・・もうひと踏ん張りするぜ」
ヘルキャットが、ブレードを前方に突き出した。

「・・・ってことになったの。だから早くこっちに来て」
「分かった。すぐに向かう」
ゴルヘックスのモニターに映し出されたソウマの顔は、さすがに真剣だった。
「お願い」
そう言って通信を切ったフローランの耳に、レーダーの反応音が届いた。
だが、その反応は普段のものとは違う。ギルドの発信機の反応だった。
「何これ・・・大型機?・・・まさか!」
思わず、後ろを振り返る。
そこに、ジェノザウラーがいた。エリスが発信機をつけた、『2体目の』ジェノザウラーだった。
ラゼットのヘルキャットも、その発信機をレーダーが掴んでいた。
「どうしたフローラン!何だこの反応は!?」
「そ、それが・・・ジェノザウラーが・・・後ろから・・・」
「何!?」
ラゼットの顔が青くなった。
ジェノザウラーはゴルヘックスのすぐ傍まで来ている。催眠弾を積んだヘルディガンナーが間に合う距離じゃない。ヘルキャットの足で間に合うかどうかといったところだが、考えている暇はない。
ラゼットは、ショックガンを連射してレブラプターを遠ざけると、フローランのゴルヘックスの元へと急いだ。
「くそっ・・・間に合え・・・間に合えっ!」


「こ、これは・・・」
エリスは、目の前の光景に、思わず言葉を失った。
横たわり、動かないジェノザウラーと、その腹に首を突っ込み、『何か』をしているウィスタリアウルフ。
そして2機の下に広がる、あまり見たくない色の液体。
それは、別の視点で見れば、この世に生きるものとして、当然の営み。生き残るための競争。
しかし、機獣としては、絶対にありえない光景。
機獣化されたゾイドが、ゾイドを喰う。
そのあまりに悲惨な光景に、イスナの無事を確認する事も忘れ、エリスはただ呆然としていた。
はっと我に帰り、慌てて通信を開く。
「イスナ、・・・無事か?」
一瞬何と声を掛ければいいのか迷い、あくまで平然を装った。
だが、返事はなかった。イスナは、ウルフのコクピットの中で気を失っていたのだ。
その時、ウルフが顔をこちらに向けた。口の周りをジェノザウラーの血で染め、口からは肉質の『何か』が垂れていた。
エリスの背筋が凍った。
ウルフには付いていない『目』が見えたような気がした。
それは、まさに獣の姿だった。
反射的にエリスのシールドライガーが身構える。ライガーも、動物的な何かをウルフに感じているのだろう。
ウルフが、口から血を垂らしながら、一歩ずつこちらに近付いてくる。
その姿は、まさに捕食者のそれだった。
だが次の瞬間、ウルフは突然体勢を崩したかと思うと、そのまま倒れこんで動かなくなった。
まるで、気を失ったかのようだ。
そのまま、一瞬の静寂が、辺りを包む。 「・・・っふう」
ウルフが完全に停止したことを悟ったエリスが、額の汗を拭った。
シールドライガーのコクピットから降り立ち、ウルフのコクピットに向かう。
凄まじい血の匂いに鼻を押さえながら、ウルフのコクピットキャノピーを開ける。
イスナは、シートに体を預け、気を失っていた。頬には乾いた涙が筋を作っていた。
足元には・・・あまり見ないほうがいいものが散っていた。
「・・・辛かったろう」
ほんの数分前まで続いていたであろう凄惨な状況を浮かべたエリスは、優しく微笑むと、イスナの体を抱き抱えた。ライガーのコクピットに運ぶ為だ。
イスナを抱き上げたエリスは、恨めしげにウルフの巨体を見上げた。
「何なんだ・・・このゾイド・・・」



その頃、ラゼットとフローランもまた、エリスと同様、呆然としていた。
目の前には、足を切られて横たわるジェノザウラー。
ラゼットがフローランの元に駆けつけたときには、既にこの状態だった。
ラゼットがやむなく放置してきた残りのレブラプターも、すべて電磁ネットによって捕縛されていた。
「えっと、なんだかよく分からなかったけど・・・これで良かったのかな?」
突然聞こえてきた声に、ゾイドから降りた2人が思わず空を仰いだ。
事態の原因となった紫色のゾイドが、2人の前に降り立った。
レドラー。ガイロス帝国軍の主力戦闘機だ。両腕にブレードのようなものが装備されているほか、各部に武装が追加された強化改造機のようだ。
そこから、1人の女性が降り立った。
「れ・・・レイシアさん!?」
怪訝な顔をするフローランの隣で、ラゼットが声を上げた。
「や、おひさしだね。ラゼット君」
その、ガーディアンギルドの制服に身を包んだ女性、レイシア・ボルドーは、手なんか振ったりしつつ、にこやかに微笑んだ。

その頃。
「あれ?・・・もしかして、もう僕要らない子?」
電磁ネットの中でもがくレブラプターを見ながら、ソウマが1人ぽつんと呟いていた。

                             EPISODE06 END