古き良き日のメカ生体
去る2006年3月7日。管理人の黒燈は、高校を卒業しました。
そこでは、かけがえのない親友と、経験と、素晴らしい先生方に出会うことが出来ました。
そこで今回は、卒業記念ということで、先生方の1人が見せてくださった資料を公開してみたいと思います。
もちろん、このサイトにふさわしいネタで。
その先生は、授業を通じて、黒燈が重度のゾイオタであることを知っていました。
そしてある日、その先生から一冊の本を渡されました。
それは、20年前に発行されたデザイン雑誌でした。
現在でも発行され続けている、その筋では結構有名(と思われる)、様々なジャンルのデザインの現場を紹介する雑誌です。
その表紙を見た黒燈は、文字通り目玉が飛び出しそうになりました。
そこに、ゾイドゴジュラスの写真が写っていたからです。
そう、ゾイド(無論当時展開されていた、今で言う『旧ゾイド』です)が巻頭特集されていたのです。
デザイン雑誌でゾイドが特集されているとは・・・極度の興奮状態に陥った黒燈はその場で即先生に交渉し、奪取レンタルすることに成功。
高鳴る胸を押さえつつページをめくると、そこには、おそらくこれ以外では絶対お目にかかることは出来ないであろう、
ゾイドのデザイン、モデリングに勤しむTOMYゾイド開発部の方々の雄姿と、今まさに生み出されようとしている後の名機の姿が。
百聞は一見にしかず。前置きはこれぐらいにして、どうぞご覧下さい。
ゴジュラスやマンモス、レッドホーンなどの名機を生み出した、創造神の姿を。
恐竜図鑑をはじめ、何冊もの資料を参考にデザインを模索し、製図台(!)を使って図面化するスタッフの方々。
黒燈の記憶が確かなら、この写真のどちらかが、数年前にお亡くなりになったゾイド開発の権威、藤野凡平氏だったはずです。
最初に読んだとき、目頭が熱くなった記憶があります。
後に名機と謳われ、愛され続けることとなったゾイドを代表する名機中の名機、ゾイドゴジュラスの頭部デザインのアイディアスケッチ。
口腔内の砲身が伸縮したり、牙が二重になっていたりと、様々な案が練られていたようです。
目と口腔が発光するアイディアも、この時点で既に発案されていたようです。
頭部デザインの下の方に、藤野氏のサインが見えます。
その隣。いよいよ煮詰まりつつある全身像に、ギミック説明が加えられています。
デザイン画を元に、発泡スチロール(?)で試作モデルを製作し、立体化していきます。
平面で描かれたデザイン画を、いかに立体物としてイメージし、かつそれを表現できるか。
高校でも割りとこんなことばっかりやってきましたが、これが結構難しいのです。
いよいよ精密なパーツの作り出しに入った模様。写っているのはゴジュラスの脚の部分ですね。
この時点でノギスを使っているという事は、既に1/100ミリ単位での作業をしていることになります。
胴体提供者のビガザウロも見守っています。
あとはひたすらこれを繰り返して、製品版の初号機として完成させるわけですね。
ちなみに、一緒に載っていた海外版(イギリス?)ゾイドのパッケージ。
ビガザウロ、アクアドン、そしてサーペント(笑)。
写真では切れてますが、ビガザウロのパッケージも小型ゾイドと同様に、吊るせるような仕様になっています。
元の写真の影響でぼやけてしまっていますが、惑星Ziの生物進化のチャートのようなものが、開発室の壁面に大きく貼られていました。
この隣にも、Ziの自然風景のイラストなど、『ゾイド』の世界観が一望できるような絵が部屋中の壁を埋め尽くしており、
スタッフの皆さんがいかにゾイドの世界観を大切にしていたかを窺い知ることが出来ます。
商品化されていない謎のゾイドのラフスケッチ。ルーフェンゴサウルス型と表記されています。
頭部の複合センサーからサイズを逆算するに、おそらくはゴジュラスと同程度の大きさだったのではと考えられます。
そして、型式番号。EPZ-02といえば、アイアンコングに与えられた番号です。
これらのことから、恐らくはゴジュラスのライバルとしてアイアンコングとほぼ同時期にデザインされたものではないかと思います。
商品化の座はアイアンコングに譲ってしまったようですが、首のディテールや全体的なフォルムなど、
デスザウラーに受け継がれた点も多いのでは、と思います。
・・・以上が掲載されていた主な写真です。
この後20年以上に渡って愛され続けることとなるゾイドシリーズ。
その礎を築いた偉大なる開発部の方々に、心からの尊敬と感謝を捧げたいと思います。
そして、おそらく、この高校に黒燈が通っていなければ、一生出会うことの無かったであろう貴重極まりない20年前の資料。
提供していただいたY先生、このご恩は一生忘れませんw