EPISODE05 覚醒(前編)

イスナの眼前で、ゾイドが雄叫びをあげた。長い鼻を振り上げるその姿は、猛々しさの中に気高ささえも感じられる。
「エレファンダー・・・帝国軍、なの・・・?」
身構えながら、ウルフのコクピットでイスナが呟いた。それと同時に、コクピットに通信が入った。エレファンダーからだった。
「こちらは、ガイロス帝国軍第267独立機動大隊隊長、ザルツ・ボルドー大佐。アンノーンゾイド、応答願う」
「!?」
帝国軍、という言葉がイスナの体を貫いた。当然だが、アンノーンということは、向こうのデータベースにこの機体のデータが存在しないということだ。自分たちの知らない、見るからに共和国軍の機体。いくら停戦協定中とは言え、他国の正体不明な機体をこのまま見逃してくれるはずがない。こういう場合、考えられる行動は2つ。
鹵獲、もしくは・・・破壊。
・・・逃げろ。
何かが、イスナの心の中で囁いた。
だが、イスナの体は、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまっていた。エレファンダーの緑に光るキャノピーが、無表情のままこちらを見据えている。ウルフも、エレファンダーを見つめたまま微動だにしない。
「アンノーンゾイド、応答願う。・・・5秒以内に何らかの返答がない場合は、攻撃も辞さないものとする」
再び、通信。スピーカー越しでも分かる、威厳と風格を感じさせる低い男の声。
「5・・・」
それが、スピーカーの向こうで有無を言わさずカウントダウンを始める。
「4・・・」
エレファンダーの背中の砲塔が、ウルフに向けられた。
「3・・・」
冷たい汗が、イスナの頬を伝う。
その刹那、突然ウルフが鼻を鳴らして小さく鳴いた。クーン、と、怯えるような情けない声。
それと同時に、ウルフの感情がイスナに流れ込んできた。
「2・・・」
エレファンダーが脚を僅かに開き、射撃態勢をとる。
「・・・怖い・・・の?」
ウルフのコクピットでそう呟くイスナの声も震えていた。
ソウマやラゼットの言葉が頭の中でフィードバックする。だがこの時、イスナの中に、別の感情が芽生えていた。ウルフを守る、と。それが、ウルフを見つけてしまった自分の責任。
「・・・走るよ、ウィス」
イスナは、ウルフの操縦桿を握り直した。
ウルフはすぐに反応し、軽やかにその身を翻した。
「!?・・・それが答えか!」
それに気付いたエレファンダーの反応も速かった。背中に装備されたロングレンジパルスレーザーライフルと鼻先のビームガンの同時射撃。背を向けたウルフを狙う閃光が、矢のように放たれていく。
立ち上る砂煙。砲撃を止めたエレファンダーの周囲を一瞬の静寂が包む。
「・・・」
濛々と舞う煙の向こうを、姿勢を崩す事なく見つめる。だがザルツは、何かに気付いたように操縦桿から手を離し、シートに体を預けた。
「逃がしたか・・・」
そして、通信機のスイッチを入れた。
「ケリィ、聞こえるか。私だ」
その通信を、一人の男が、離れた場所で待機していたゾイドの中で受け取っていた。その、眼鏡をかけた若い男が、受信機に手を延ばした。
「はいはいこちらケリィ・レンディル中尉。聞こえてますよ隊長」
「すまない、共和国軍の物と思われる機体を取り逃がした。データを送るからレブラプター隊に追撃させてくれ」
「了解しました」
そう言って通信を切ったケリィは、自機の後ろに控える部隊を振り返った。総勢50機のレブラプター、モルガが一糸乱れぬ隊列を組んでいる。
「えー、大隊長命令である!レブラプターA班とB班は今から送るデータの機体を追撃せよ。残りは私に続け!」
3本の角を生やしたケリィの乗る改造レッドホーン、トライホーンが、ゆっくりとした足取りで動き出した。それに次いで、無数のレブラプター、モルガが後に続く。地響きを起こし、砂煙を舞い上げながら進む列の中から、何体かのレブラプターが抜け出し、進路を変えて消えていく。それを見送りながら、ケリィ・レンディル中尉は小さく呟いた。
「やれやれ、やっと戦争が終わったってのに、また部隊の指揮なんかをするハメになるとはねぇ。ま、今回は敵が人間じゃないだけまだマシなのかな」
「そうですよ、中尉さん」
コクピットの通信モニターに、若い女性の顔が映し出された。それと同時に、どこからか現れたレドラーが、トライホーンの頭上を失速ぎりぎりの速度で浮いていた。
「あー、レイシアちゃん、もう追い付いてきたんだ。さすが速いね」
「それはもう、こっちは天空の覇者ですから。あと、ちゃん付けで呼ぶのはやめてくださいね」
レイシアと呼ばれた二十歳前後の風貌の女性が、前髪を左に寄せながら笑った。
「それにしても、これでレイシアちゃんともお別れか〜。残念だなー」
「だからちゃん付けはやめてくださいってば。じゃ、私先に基地に行ってますね」
レイシアが、苦い笑いを浮かべながら、思い切り加速レバーを倒す。シートベルトに固定されたその体は、帝国空軍の軍服ではなく、鮮やかな水色の、ガーディアンギルドの制服を纏っていた。
「久し振りだなー、エリスに会うの」
レイシアは、レドラーの黒いキャノピー越しに空を仰いだ。
進撃する帝国軍大隊のはるか頭上では、日が微かに西に傾き始めていた。

何とか離脱したウルフのコクピットの中で、イスナが祈るように呟いた。
「レブラプター・・・行かないで。そっちは・・・っ!」
レーダーを頼りに、崖に沿って走りながら、崖下にいるであろうレブラプターの群れを探す。
「・・・いた!」
赤い群れは、若干速度を落としながらも、鬱蒼と茂る木々の間を駆け抜けていた。
その中に、レブラプターより2回りほど大きな、黒いゾイドがいた。ジェノザウラーだ。
「・・・あれ?」
イスナは、思わず自分の目を疑った。そして、もう一度、よく目を凝らしてジェノザウラーを拡大表示したモニターに顔を近づけた。
最初は、ジェノザウラーの影だと思った。だが、影だと思っていたソレは、明らかにジェノザウラーと違う動きをしていた。
その『影』だけが、突然動きを止めた。そして、吼えた。
ジェノザウラーの声で。
「そんな・・・」
イスナの声は、震えていた。

「やつらの位置は?」
ギルドの建物の最上階に設けられた官制室では、エリスが対応に当たっていた。エリスの問いに、モニターの一人が振り返る。
「現在、基地南方30キロ付近の渓谷に向かって移動中と思われます。ただ、やはり電波の状態が悪く正確な数は・・・」
「やはりそうか・・・」
エリスは、恨めしげに握った右手に力を込めた。
話は、数分前に基地のレーダーが感知した無数の熱源から始まった。基地周辺には警戒用にいくつかの小さなレーダー塔が建てられており、ゾイドのような巨大な熱源を感知できるようになっている。そして数分前に、その中のひとつ、渓谷の東に広がる平原に置かれたレーダー塔から、無数の熱源反応を受信したのだった。
「奴らが渓谷に到達するまでの時間は?」
エリスの問いに観測士のファルトがキーを叩く。
「1時間程で群れの先頭が渓谷に到達すると思われます」
振り返るファルトの言葉を聞いたエリスが、右手を顎に当てた。
「1時間・・・ということは、奴らが渓谷を抜け切るのは3時間弱ってところか・・・今から出ても、間に合うかどうかぎりぎりだな・・・」
エリスは小さく呟くと、意を決したように顔を上げた。
「え、エリスさん?まさか・・・」
「あの数からして、恐らくはあのレブラプターの群れとみて間違いない。散られる前に全て抑える」
そう言うと、エリスはくるりと向きを変え、部屋を後にした。

ギルドの格納庫は、ちょっとした軍事基地並みの設備がある。その提供の殆どは、帝国や共和国の援助を得たエウロペの企業が行っているが、直接、軍が施設を用意することもあった。そのため、メカニックと必要な資材さえあれば、基地内でほぼ全ての整備、補修作業が行えるようになっている。格納庫の大きさに対して整備機械の数は少ないが、捕獲したゾイドを一時保管できるよう、駐機スペースは大きめにとられている。
「レブラプターか・・・さて、どうするかな」
向き合う形で2列に並べられたゾイドの列のほぼ真ん中に待機したシールドライガーの足元で、エリスの頭がフル回転していた。考え事をする時のエリスの定位置だった。
49機のレブラプターと、ジェノザウラー。捕獲するということに変わりはない。問題は、その方法。獲物の数が多すぎるのだ。
普通、ゾイドを捕獲する『テイカー』は、2人1組でタッグを組み、その連携で目標を捕獲する。そのうち1体は接近戦用、もう1体は支援攻撃用の装備を施し、迅速にそれぞれの役割を果たせるように編成されており、戦術的知能のない野良ゾイドが相手の場合、その殆どがそれでうまくいく。
だが、今回は文字通りケタが違う。集団戦闘を得意とするレブラプターが、群れを成しているのだ。それに加え、射撃能力を持ったジェノザウラーまでいる。
各個に対応していたのでは数に押し負かされる。かといって、ジェノザウラー1体に相応の戦力を割ける余裕などない。
獲物を全機、同時に動きを止めさせなければ、捕獲はできない。もしくは、ジェノザウラーと対峙する前にレブラプターを一網打尽にして、その後全戦力でジェノザウラーに対応する。
選択肢は、多くなかった。
「・・・仕方ない、アレを使うか」
エリスは、格納庫の隅に積まれたコンテナに目をやった。

基地のゾイドパイロット全員が、作戦室に呼び出された。各々が不安げな顔をちらつかせながら、エリスの顔を見ている。正規軍でさえ恐れるゾイドを相手にするのだから、それも当然の反応である。
腕を組んで仁王立ちしたエリスは、その場の空気を払拭するかのように声を上げた。
「今から、今回の捕獲作戦の概要を説明する!今回は総力戦だ!全員、気を引き締めてかかれ!」
まるで軍隊の鬼教官のような剣幕に、全員が思わず姿勢を正した。
「さすがだね、エリスさん」
フローランが、エリスに聞こえないように小声でラゼットに言った。
「いや、あれで姉キ、優越感に浸って楽しんでるんだよな」
ラゼットが顔色を悪くしながら笑った。
「そんな風には見えないけど・・・」
「知らないって事は幸せなことなんだよ」
「・・・へぇー、そう・・・」
どう反応すればいいのか分からないといった様子で、フローランは視線を戻した。
全員の顔を見渡したエリスが、何かに気付いたように顔色を変えた。
「・・・ん?イスナはどこだ?」
ラゼットとフローランの顔が引きつった。
「え、と、さっき『ウォーミングアップだ』ってウルフ連れて出て行ったきり・・・」
ラゼットが、固まった顔に無理に笑顔を作って部屋の外を指差した。
「はぁ〜っ。まあ、仕方がない。イスナは連絡がつき次第合流させよう」
ラゼットとフローランの口から、深いため息が漏れた。
「今から作戦の内容を説明する」
その言葉と共に部屋の灯りが消え、エリスの後ろの大きなモニターに、ジェノザウラーとレブラプターの画像が映し出された。
「これが今回の獲物だ。見ての通り、両者共に接近戦を得意とする高機動型のゾイドだ。
特にジェノザウラーの格闘能力は、私のシールドライガーでも到底かなうものではない」
エリスの発言に、部屋が微かにざわめいた。基地で最強のシールドライガーが太刀打ちできないというのだ。
しかしその中で、ソウマだけがくっくっと堪えきれない笑いをこぼしていた。
「何だよソウマ、気持ち悪ぃ」
「や、あのジェノザウラーとレブラプターの画像、実は両方とも僕の提供なんだよね。苦労したんだよ?あれだけ鮮明な写真手に入れるの」
全く緊張感を感じさせない、あっけらかんとした声。
「知らねーよ」
ラゼットは、エリスの方に向き直った。
「でもだからこそ、それを補う為の作戦があるんですよね?」
場の空気を落ち着かせるため、ソウマがわざと大きな声で言った。
エリスが、自信ありげに笑った。
「その通りだ。今回は直接戦闘で捕獲することは物理的に不可能だ。そこで、今回はコレを使おうと思う」
モニターの映像が切り替わり、ミサイルの弾頭のようなものが映し出された。
「あれは・・・」
ラゼットの顔色が変わった。
「AZ高濃度XEN‐Y催眠ガス弾頭・・・ゾイド内部のコアにまで届く強力な催眠剤か」
右手で顎を支えたソウマが呟いた。
「そうだ。コイツから噴射されるガスを吸えば、レブラプター程度のゾイドなら1分もしないうちに動けなくなる」
エリスの言葉が終わるのと同時に、今度は地形図がモニターに現れた。エリスが、その地図のある部分に指し棒を当てた。
そこは、細長く続く峡谷のちょうど中間辺りにある沼地だった。
「この沼地に群れを追い込んで、一箇所に集めた所で催眠弾を打ち込む。それが今回の作戦だ」
そこでエリスは言葉を切り、正面に向き直った。
「・・・え?今ので終りか?なんだ、意外と簡単そうじゃないか」
ラゼットが、腕を頭の後ろに回して言った。
「いや、問題は山積みだよ」
ソウマが、姿勢を崩さないまま、エリスに視線を向けた。
「その通り。今回の作戦は、ある意味で賭けに近い」
地図上に、いくつかの点が表示された。それぞれのゾイドの位置を示したものだ。
「具体的な役割分担だが、フローランのゴルヘックスで群れの情報を把握し、それを基にヘルキャットとレブラプター2機で群れを誘導。群れから漏れた奴はモルガの砲撃で足を止める。これを何度か繰り返して全機沼地に追い込んだら、ヘルディガンナーにこれから搭載する催眠弾を撃ち、全レブラプターを停止させる」
その場にいた全員が、真剣な面持ちでエリスの説明を聞いていた。だが、その話が終わって一瞬の間を開けた後、全員が同じ事に気付いた。
「お・・・おい、姉キ?」
ラゼットが、思わず顔を上げた。
そう、今の説明で、名前が一度も上がっていないゾイドがある。
イスナのウィスタリアウルフと、エリスのシールドライガー。そして、ジェノザウラー。
「まさか、姉キ1人でジェノザウラーを・・・」
「・・・仕方ないだろう。機体サイズの時点で、あんなのと渡り合えるのは私のシールドライガーだけだ。それに、イスナもいる。・・・あのウルフの力は未知数だが、あてにできない事はないだろう」
「で、でもよぉ・・・」
「あーあとひとつ、重要なことを言い忘れていた」
「え?」
「そのレブラプターの群れなんだが、現在移動を開始している。この基地の方角に向かってな。あと1時間もすれば、この峡谷に差し掛かるだろう」
「・・・は?」
ラゼットをはじめ、その場の全員が、口を開けたまま絶句した。
「緊急発進(スクランブル)!直ちに全機、発進準備!」
エリスが、勢いよく右手の人差し指を突き出した。
「なにいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃーーーー!!??」
ラゼットの声が、基地にこだました。